偽りの進展


初めてのデートは水族館。
帰りに海を眺めて、車で家の近くまで送ってもらったりもして玲士さんはとても優しかった。大人の男の余裕というか何というか、全てが完璧で終始俺はリードされっぱなしだった。
別れ際、車中でされたキスも優しくて…

「って、わぁ〜!!なに思い出してるんだ俺!」

どうしよう、これから玲士さんに会うのに。どんな顔して会えばいいんだっ。

初デートの日から数えて六日目。金曜日の夜に玲士さんから電話があったのだ。それも今度は玲士さんからデートのお誘い。

『晴海君さえ良ければ、なんだけど。どう?』

耳元で囁くように紡がれた穏やかな低い声に、電話なんだから当たり前なんだけど、妙に意識してしまって俺はつい黙り込んでしまった。

『晴海君?忙しいならまた今度でも…』

「あっ、だ、大丈夫です!明日でも明後日でも暇ですから!」

変に空いてしまった間に俺が慌てて返せば、玲士さんはくすくすと笑う。

『そんなに慌てなくても俺は逃げないよ?』

「うっ…いや、あの…」

『じゃぁ、明日の朝九時に迎えに行くから。宜しく』

「…はい」

という流れで頷いてしまったが、肝心の何処へ行くのかを聞き忘れ、電話を切ったあと俺は急いでクローゼットを漁った。

初デートの時の玲士さんの私服姿は格好良くて、その隣に並んだ時に俺もそれなりに見えるようになりたいと思ったから。

今はチェック柄のパンツに白いシャツ。薄手のジャケットを羽織って、足元は履き慣れたスニーカー。
これで少しは釣り合うかな、と不安に思いつつ思い起こすのはやはり初デートの時のことだ。

「やばい…どきどきして来た」

マンションの外に出て、玲士さんの車が来るのを待つ。

「アレはフリなんだから普通に、普通に…」

そうでないと玲士さんに可笑しく思われてしまう。
玲士さんは俺の我儘に付き合ってくれてるだけなんだから。

「うぅっ、駄目だ。余計緊張してきた」

何てことを自分に言い聞かせている内に、玲士さんの車がマンション前に滑り込んで来た。
俺の前でゆっくりと停まった車の助手席の窓が開く。

「おはよう晴海君。さ、乗って」

「お、おはようごさいます。…お邪魔します」

「どうぞ」

にっこりと爽やかに微笑んだ玲士さんに頬が熱くなるのを感じなら、俺はぎくしゃくと車に乗り込んだ。
途端、ふわりと微かに香った煙草の匂いに、あっ…と声を漏らす。

「ん、どうかした?」

「あ、いえ。玲士さんって煙草吸うんですか?」

シートベルトを締め、どきどきしながら訊いた俺に玲士さんは車を出しながら少し困ったような顔をした。

「たまにね。晴海君、煙草ダメだった?」

「そういうワケじゃないです。何か大人だなぁって思って」

付け加えた台詞に玲士さんはハンドルを切りながら、前を見たまま小さく笑う。

「それじゃ晴海君の中じゃ煙草イコール大人ってなってるのか」

「あ、もちろんそれだけじゃないですよ!玲士さんは頼りになるし、…優しいし。その上気配りも出来て、落ち着いた大人の男の人って感じで…って、男の俺に言われても嬉しくないですよね」

あははと、本人を前に何言ってるんだろと俺は車に乗り込む前の緊張感を思い出して、ぎこちなく笑った。
けれど、そんな俺に対しても玲士さんは誠実で。赤信号で停まった車の中、ふっと和やかに瞳を細めると左手を伸ばして熱くなった俺の頬に触れてきた。

「そうでもないよ。ありがと」

するりとそのまま頬を撫でられて、その手は離れていく。つい目で追ってしまった先で微笑む玲士さんと視線がぶつかりますます熱は上がってしまった。

「〜〜っ」

どうしたんだろう俺。
心臓がばくばくする。

不自然に外した視線の端で信号が赤から青に変わった。

「そういえば、敬語」

「…っえ?」

「敬語、無しでいいから。休みの日までそれじゃ疲れるだろう?」

「あ…いえ…」

「敬語使われると俺もつい癖で仕事モードになっちゃうんだよね。休日に可愛い恋人と二人、流石にこれはいけないなってこの前少し反省したよ」

そこまで考えてくれている玲士さんに驚き、まるで本物の恋人のように扱ってくれる玲士さんに少し罪悪感が沸く。
彼女はいないってこの前言っていたけど。

何だが胸がもやもやして、気分も落ち込む。

「晴海君?」

「あ…っの、それで今日は何処に行くんです…行くの?」

そうだ、考えても仕方ない。せっかく玲士さんが協力してくれてるんだから。今は楽しまなきゃ。






そうして車を駐車場に止め、エスコートされた場所は様々なジャンルを取り扱う店舗が大集結した大型のショッピングモールだった。有名レストランに映画館とアミューズメント施設もあり、一日中遊んでいられる場所だ。

「デートコースとしてはちょっと定番かなとも思ったんだけど、どうかな?」

「うわぁ、俺ここに来るの初めて」

最近オープンしたばかりのショッピングモールで、休みのせいか人も多い。家族連れから友人同士、恋人同士ととにかく混んでいた。

「喜んでもらえたようで良かった。とりあえず歩いて回ろうか」

「うん」

服屋や雑貨屋、目移りしてしまいそうな程沢山ある店に、気をとられていた俺は前から歩いて来た人とぶつかりそうになる。

「っと、何か気になるお店見つけた?」

それを然り気無く、俺の肩を抱き寄せ玲士さんは庇ってくれた。

「…っ、ありがと」

そしてその事をわざわざ口にしたりはしない。俺が気が付かなければきっと知らないままだっただろう。

「えっと、ちょっとそこの雑貨屋に寄りたいかも」

「良いよ。何か欲しいものでもある?」

あまりに自然すぎて肩を抱かれたまま俺は雑貨屋に入ってしまった。

「そろそろノートとペンが無くなりそうで」

と、ペンと種類が豊富なノートを手に取り選べば横で玲士さんが苦笑する。

「晴海君て意外と現実的なんだな」

「え?…あっ、すみません!デート中なのに」

これじゃ雰囲気も何もあったものじゃないと、慌てて手にしていたノートを元の位置に戻そうとしたらその手を玲士さんに掴まれ止められた。

「気にしてないよ。普段の晴海君が見れて俺は嬉しいし楽しいから」

「俺は…恥ずかしい」

じわりと耳まで赤く染めて玲士さんから視線を反らす。その耳にクッと低く喉を鳴らす声が飛び込んできた。

「…玲士、さん?」

「あぁ、ごめん。晴海君があまりにも可愛いから」

「かわっ…俺は別に可愛くなんてないし」

反論した隙に手に持っていたノートとペンを取られる。あっと言う間も無く、玲士さんはそれを持ってレジへ向かってしまう。

「ちょっ、玲士さん!それぐらい自分で払うから!」

「気にするな。良いもの見せてもらったお礼だ」

「良いものって…」

結局上手く躱されてペンとノートを買って貰ってしまった。
雑貨屋を出て、むすりと膨れっ面で玲士さんの隣を歩く。

「自分で買うって言ったのに」

「それはデート中だってことを忘れた罰だと思って諦めろ」

「さっきはお礼だって…」

恨みがましく玲士さんを見上げれば、じゃぁと言われて腕を引かれる。人混みを避けて寄った通りの端っこでにこやかに笑った玲士さんの顔が近付き、不貞腐れていた気持ちが一気に吹き飛ぶ。

「えっ、あの…」

近付けられた端正な顔に、絡まる切れ長の鋭い眼差し。見つめられてどきりと胸が騒ぐ。いつの間にか意識の外へと置き去りにしていた記憶が蘇ってしまい、つい緩く弧を描いた唇に視線が向いてしまう。

なに、考えてるんだよ俺!

そんな俺の混乱振りをよそに、目の前にある薄く形の良い唇は囁くように言葉を紡いだ。

「じゃぁ、お礼は別のことしてもらおうかな」

「へ…?」








「っ、ちょっと待っ。やっぱりこっち!こっちの方が色が明るくて良いかも!」

ハンガーごと俺が選んだ服を三着ほど手渡し、代わりに玲士さんが脱いだ上着を受け取る。
ここは雑貨屋から程近い場所にある服屋で、俺は玲士さんの服を見立てていた。

「でも俺本当にこういうの苦手だから。可笑しいと思ったら絶対に止めて下さいね!」

先程、それならお礼に服を見立てて欲しいと言われて連れて来られたのがこの服屋だ。果たしてこれがお礼になるのだろうか。

正直自信がない。別の意味でどきどきしながらその背中を見つめていれば試着室に入ろうとしていた玲士さんが不意に振り向く。

「晴海君、敬語禁止」

「あ…」

それだけ言って玲士さんは試着室の中へ入って行ってしまった。

「………」

何か敵わないなぁと思うのはやはり玲士さんが大人だからか。それとも教師だからか。

そりゃそうだよな。俺と玲士さんは八歳も違う。
人生経験も違うだろうし。

受け取った玲士さんのジャケットを手に、俺は手持ち無沙汰で側に展示されていたワインレッドのジャケットをぼんやりと眺める。フードにファーがついており、これからの季節には良いかもしれない。

手を伸ばし肌ざわりや感触を確かめてみる。

「お、結構良いかも」

そしてその直ぐ側にかけてあった同じジャケットを手に取り、サイズを確認してちらりと値段を見た。

「軽いし、安いな。あぁでも…今買っちゃうと後々厳しいか」

財布の中身を思い浮かべ、諦めて戻そうとハンガーに手をかけた所で背後で更衣室の扉が開く。

「どうかな晴海君?」

掛けられた声に振り向けば、俺はそこにあった姿に目を見開き、わ…と声を漏らした。

Vネックのニットソーに上に羽織ったベーシックカーディガンがシンプルで、ストレッチ素材のスキニーデニムパンツも玲士さんのスタイルの良さを際立たせている。

それでなくても軽くセットされた黒髪に切れ長で涼やかな双眸。
もとから端整な顔立ちの玲士さんはモデル顔負けな格好良さと大人の色気を漂わせていた。

俺は目を奪われたままほぅと息を溢す。

「…凄く格好良い」

「そう?晴海君好み?」

「はい」

何だか甘さを含んだ声で尋ねられて、俺は思ったままこくりと頷く。
すると今まで優しく笑っていた玲士さんの雰囲気が変わった。

ゆるりと吊り上げられた唇に、絡む眼差し。ふっと色気たっぷりに見つめられてどきりと鼓動が跳ねる。

「なら買ってくか」

着替えるから少し待ってろ、と外された視線に、肩に入っていた力が抜け熱くなった頬を押さえる。どきどきと異常なほど早鐘を打つ鼓動に、俺はすとんと力が抜けるようにその場にしゃがみこんだ。

「――っ、やばい。待って。何これ?顔熱い。心臓…ばくばくいってる」

これじゃまるで…。

ぶつぶつと玲士さんから預かったジャケットと、手にしたままのワインレッドのジャケットを胸に抱いたまま床を見て呟く。
背後で再び更衣室の扉が開いたのも気付かずに。

「…晴海?」

「ぅはい!」

名前を呼ばれて、大袈裟なほど肩を跳ねさせ俺は立ち上がった。



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